因果交流電燈

本とアニメを題材にしていろいろ語るブログです。

冨樫の凄さには遅れて気づく 【HUNTER×HUNTER】

最近一番印象的だった本・アニメは何かともし聞かれたら、僕は『HUNTER×HUNTERハンターハンター)』と答えてしまいます。

 

ここには、ふたつの意味で恥ずかしさがあります。

 

第一に、僕はそれこそ子供の頃からハンターハンターを読んでいました。アニメ1作目も見ていました。ですから、今さらハンターハンターのすごさに気付いたのか、という点でまず恥ずかしいです。

 

第二に、僕は「キメラアント編」から週刊連載を追うことをやめてしまいました。離れる寸前にはコミックで追いかけたりもしていましたが、私生活上の変化なども重なり、いつの間にかハンターハンターから距離を置くようになっていました。

 

もちろん、ハンターハンター程の有名作ですから、断片的な情報は常に入ってきます。時間が経ってキメラアント編も終わり、その結末についてもある程度知ってしまうようにもなりました。普段はネタバレを極力避ける僕ですが、なぜかハンターハンターの場合はネタバレ情報も気付かぬうちに仕入れていた気がします。

 

要するに、僕にとってハンターハンターはいつの間にか、定期的に情報を得て状況を知るといった作品になっていました。正直、今現在もそうです。機会があればジャンプを読んで確認もしますが。

 

ですが、そもそも僕がハンターハンターから疎遠になったきっかけと言えるキメラアント編に関して言えば、事情はもっと複雑だったと思います。今思い返しても、僕の中では「カイト」、「ポックル」、「ネフェルピトー」という3つのワードは、ある種のトラウマになっています。僕にとってのハンターハンターは、ネフェルピトーの登場によって、いろんな意味で止まっていたわけです。もしかしたら、僕と同世代の人で同じような人は多いかもしれません。

 

そのトラウマっぷりについてここでは語りませんが、とりあえず今回言いたいのは、長い間ちょうどよい距離感で付き合ってきたハンターハンターと、ふとしたきっかけでアニメ第2作を一気に見たことで近づいたということです。

 

本来は漫画原作をあらためてきちんと読むべきなのでしょうが、アニメが素晴らしかったので、とりあえず今はその課題を先送りにしています。

 

アニメ第2作は、僕の漫画原作に関する記憶とかろうじて照合できるキメラアント編・GI編以前に関して言えば、いくつか細かな差異があったものの、許容範囲にとどまるものでした。そのため、僕は問題のキメラアント編も安心してアニメ版を一気に視聴したわけです。キメラアント編も、その後の選挙編も見ました。

 

控えめに言って、ハンターハンターキメラアント編は、日本の漫画・アニメ史上の傑作でしょう。

 

正直、細かな内容について語り出すとまとまりがなくなりますし、今の僕では理路整然と語る自信がありません。

 

少なくとも過去の僕と比べて言いたいのですが、キメラアント側あるいは「王」の視点がまさかここまで心に刺さるとは思いませんでした。大まかな展開は把握していましたが、昔の僕はもっと気軽に考えていました。いやはや、とんでもないですね。王の強さ云々ばかり考えていた昔の僕が恥ずかしいです。

 

それに何よりも強調したいのが、アニメ版独自の良さです。キメラアント編後半以降のEDテーマ、ゆずの『表裏一体』がとにかく素晴らしいです。歌詞や曲の良さは言うまでもありません。まず聞いてみてください。くわえて、特にアニメ本編からED曲への入り方がヤバいです。回によっては震えます。かねてより日本のアニメのOPやEDは、それ自体がひとつの文化だと思っていましたが、ハンターハンターのアニメを見てそのことをあらためて確信しました。

 

率直な感想ばかりになってしまいました。はっきり言って仕方がないです。まだ僕はハンターハンターを語る準備ができていません。

 

とりあえず、最近僕にとって最も衝撃だったことを伝えるべきだと思い、こんな拙い記事をあげた次第です。

 

ハンターハンターについては今後機会があればもっと語りたいと思っています。