因果交流電燈

本とアニメを題材にしていろいろ語るブログです。

『トニカクカワイイ』から、ラブコメについて少し考えてみる

■はじめに

 

「愛が証明されたから結婚するんじゃない 愛を証明するために…結婚したんだ」

 

なかなか素敵なセリフです。

 

トニカクカワイイ 3巻』(畑健二郎小学館)において、主人公の由崎ナサ君が発したセリフです。

 

今回はこのセリフを足掛かりにして、ラブコメについてあれこれしょうもないことを考えてみたいと思います。

 

 

 

■『トニカクカワイイ

 

僕がアニメを見るようになったのは今から10年ちょっと前。

その頃、『ハヤテのごとく』を漫画もアニメもよく見ていました。ちょうどその時期は、釘宮さん演じるツンデレヒロインの全盛期といった感じでした。ちなみに僕は『ハヤテのごとく』ではヒナギクが一番好きでしたが。

 

そんな『ハヤテのごとく』も2017年に連載が終了。2006・2007年頃から生じていたアニメのプチブームをずっと支えてきた作品が終わったので、やはり寂しかった。

 

ハヤテのごとく』作者の畑健二郎さんはその後、声優の浅野真澄さんとの結婚を発表して結構話題になりましたが、そんな中、畑さんの新作として2018年からサンデーで連載が始まったのが『トニカクカワイイ』です。2019年8月現在、6巻まで発売されています。

 

トニカクカワイイ』のあらすじを一言でまとめれば、18歳の由崎ナサ君が、「とにかくかわいい」司ちゃんと結婚してひたすらイチャつく話です。

司ちゃんの正体や、おそらくこの作品のモチーフになっている『竹取物語』の関係など、たしかにいくつかの謎はありますが、それはひとまずおいておきましょう。

司ちゃんの可愛さやほのぼのとした同棲生活がメインでありつつ、アニメ・ゲームネタなどを散りばめたテンポの良いギャグ描写も健在ですから、『ハヤテのごとく』ファンは特に楽しめるんじゃないでしょうか。

 

そんな『トニカクカワイイ』ですが、大きな特徴があります。結婚をするところから物語が始まるということ。

物語冒頭、ナサ君は司ちゃんに一目ぼれしてすぐにプロポーズをします。その後司ちゃんは行方をくらまして少し月日が流れますが、再開した直後に婚姻届けを出し、結婚生活が始まります。

 

出会ってから結婚に辿りつくまでの過程がほぼ存在せず、結婚してからナサ君と司ちゃんは互いの事を知っていくことになります。もちろん互いに相手のことを好きだという前提はあるのですが(司ちゃんがいつ、なぜナサ君を好きになったのかはまだ明らかではありません)。

 

こんなふたりの関係性についてのナサ君の思いをよく表しているのが、この記事冒頭に掲げたセリフです。

ふたりの特殊な出会いのせいでもありますが、まず結婚してから愛の証明をしていく物語というのはなかなか珍しいものに思えます。

 

ではここからあらためて、漫画・アニメにおけるラブコメの物語のかたちについて、ちょっと考えてみたいと思います。

 

 

 

■ラブコメの物語のかたち

 

漫画・アニメにおけるラブコメ作品には、大別して3つのタイプがあるように思えます。

 

①正妻戦争もの

②愛の証明もの

③ハーレムもの

 

まず③のハーレムものから触れておくと、これは基本的に①の正妻戦争ものの派生として理解できると思うので、ここで詳しくは扱いません。それにゲームなどを除いて、極端なハーレム作品は、最近増えてきてはいるものの、そこまで多くはない気がします。代表例としては『生徒会の一存シリーズ』や『ハイスクールD×D』などが挙げられるでしょうか。

 

①正妻戦争もの

正妻戦争ものは、おそらくラブコメで最もポピュラーなタイプでしょう。主人公が複数のヒロインの中から最終的に誰かひとりを選択するまでが物語として描かれます。

ヒロインたちの視点から言えば、主人公の正妻の座をめぐって熾烈な争いが繰り広げられることになります。最近の代表作としては、『五等分の花嫁』や『ぼくたちは勉強ができない』などが挙げられるでしょう。

ちなみにここでは「正妻」という表現を用いていますが、この構図は当然少女漫画にも当てはまります。ラブコメとは言えないかもしれませんが、例えば『ちはやふる』の新と太一の争いには僕も興味津々です。

 

もちろん正妻戦争ものの中にもさらに細かな違いはあります。最初からメインヒロインがひとりに決まっている場合もあれば、主人公がどのヒロインにも恋愛感情をもっていないところからスタートする場合もあります。メインヒロインが確実に決まっていれば、その作品は②の愛の証明ものに近づきます。つまり、3類型の区別はそこまで厳密なものではありません。

 

正妻戦争ものではメインヒロインの交代が起こり得ます。『いちご100%』なんてまさにそうでしょう。いまだに西野派、東城派、北大路派の争いをたまに見かけます。そのような読者の間でのヒロイン談義こそ、正妻戦争ものの醍醐味と言えるでしょう。『ぼくたちは勉強ができない』では、同級生や先輩をおさえてまさかの先生が圧倒的な人気を誇るという現象も起きています。僕も桐須先生が一番好きですが、さすがに人気投票の結果を見たときは驚きました。

 

このように、どのヒロインが好きかを考える楽しみを与えてくれる正妻戦争ものですが、当然そこには辛さもあります。最終的に選ばれるのが自分の好きなヒロインでなければショックですし、特に納得できないヒロインが選ばれたら絶望するでしょう。結末があまりにもひどいと、それだけで作品全体の評価が急降下することも。例はあえて挙げませんが。

 

作者にとっても読者にとっても辛いこうした選択を回避したいがために、最近はハーレムものが増えてきたのかもしれません。みんなハッピーで終われますから。

 

②愛の証明もの

ここで注目したいのは②愛の証明ものです。このタイプも最近よく目にするようになりました。

 

トニカクカワイイ』がまさにこのタイプに属します。この類型の名称には少し悩んだので、ナサ君のセリフから借用することにしました。

 

愛の証明ものではメインヒロインが初めから決まっています。そして、主人公とそのヒロインの関係性を確かなものにし、証明していくことが物語として描かれます。『トニカクカワイイ』は、結婚というまさにゴール中のゴールから始まるので極端ですが、このようなタイプとして考えると、近い作品は結構見つかります。

 

最近の作品としては、『寄宿学校のジュリエット』を挙げることができます。第1話で主人公の露壬雄がヒロインのペルシアに告白して付き合い始めます。物語の主軸となるのは、本来交際が許されない関係にあるふたりが、周囲の人々、学園、そして世界へ向けてふたりの恋愛関係を証明し認めさせていくことにあります。たしかにヒロインは複数登場しますが、メインヒロインの交代はあり得ないという前提で物語が進行しています。

 

かぐや様は告らせたい』も、愛の証明ものに属すると言えるでしょう。会長とかぐや(一応ふたりはどちらも主人公という設定らしいです)は、交際こそしていないものの、物語冒頭から互いに好意を抱いています。彼らの視点で言えば、相手も自分のことを本当に好きかどうか確実にはわかっていませんが、物語上はふたりの恋愛感情の関係性が確定しています。この作品の大部分は、相手に告白させるための駆け引きというギャグパートですが、その中で互いに相手のことを知り関係性を確かめていくことにもなっています。しかしシリアスパートを含めた物語の根底には、かぐやの身分ゆえにふたりの関係は認められないという困難があります。そのためふたりの物語では、告白と交際がゴールではないのは明らかです。ふたりの関係性を証明することこそが目的なのです。また、『かぐや様』においても『竹取物語』が重要なモチーフになっているのは興味深い点ではあります。

 

『寄宿学校』と『かぐや様』を例にしてよくわかるのは、愛の証明ものでは、主人公とヒロインのイチャつきや幸せな生活をメインパートとして話数が重ねられるものの、必ずその根底には、ふたりの関係性の証明を必要とさせるような「壁」や「課題」が存在するということです。『トニカクカワイイ』でもこれから、その壁が何なのか次第に明らかになっていくことでしょう。

 

このような愛の証明ものの特徴は、恋愛要素を含んだ他ジャンルの作品には比較的よく見られるものです。ロボットものやアクションものでは、メインヒロインと真に結ばれるためにはラスボスを倒さなければならない、みたいな展開が多いですから。それこそ、いわゆる「セカイ系」――その定義や種類にもいろいろあるでしょうが――は、愛の証明ものの極端な例と見なせるかもしれません。ヒロインとの愛の証明がそのまま世界の救済や破滅と一致する、というように。

 

そのような中で、おそらくラブコメ作品の愛の証明ものが特徴的なのは、恋愛のゴールやスタートにあらためて目を向けさせることを通じて、「恋愛可能性」自体を主題にしていることでしょう。誰とどう恋愛するか以前に、恋愛することが可能なのか、誰かを好きになる資格があるのか、といったことが問題となっているわけです。

 

言うまでもなくこのような主題は、物語の歴史と同じくらい古いものでしょう。ただラブコメの枠内で考えると、なかなか興味深いように思えます。自分たちが正妻戦争ものの作品にいかに慣れてしまっているかを気づかされるからです。ラブコメ作品では付き合うことがゴールであって、その先がほとんど描かれないということを僕が気にするようになったそもそものきっかけはCLANNADでした。アニメ版しか見ていませんが、僕にとってのCLANNADは、愛の証明ものと見なせるAFTER STORYの方が本編でした。CLANNADは正妻戦争ものと愛の証明ものを、混ぜ合わせるのではなく、時系列上の前と後に分けたうえでひとつの物語として繫げた作品と言えるかもしれません。そしてそこから遡って考えてみた結果、似た構造になっている作品として『I"sアイズ』が見つかりました。他にもっと見つかれば面白いのですが。

 

ではなぜラブコメにおいて、独立した愛の証明ものが目に付くようになったのか。ひとつの強引な仮説ですが、「空気系」や「日常系」といわれる作品(古くは『あずまんが大王』、代表としては『らき☆すた』など)が流行したのが大きいと思います。正妻戦争ものは、ひとりのヒロインと結ばれることを目的として、その目的を達成するまでの過程としてメインの物語が進行します。それに対して愛の証明ものの場合、メインパートは主人公とヒロインたちの日常であり、それは目的に向かった物語進行ではありません。その日常には主人公とヒロインの関係性を深める意味もたしかにありますが愛の証明という最終目的との直接的なつながりは弱く、あくまで日常と空気がメインになっています。だからこそギャグやイチャつき要素が多くなるわけです。

 

つまり、正妻戦争ものでは物語の全体に散らばっている目的や意味を一旦すべて取り除き、それを物語の最初と終り、また随所に挿入されるシリアスパートに振り分けたのが、愛の証明ものだと言えるでしょう。目的と意味の除去と再分配を通じて、恋愛のスタートとゴールが再設定されるのです。

 

「日常系」の影響という仮説が正しいとしたら、それを最も色濃く残した作品は『からかい上手の高木さん』でしょう。『高木さん』は、愛の証明ものと構図は似ていますが、乗り越えるべき壁が徹底的に排除されています。交際や愛の証明といったあらゆる目的や意味が削ぎ落とされ、ただラブコメとしての「日常系」が残されていると言えます。

 

ブコメにおける愛の証明ものが、空気系を媒介として正妻戦争ものから成立したとすれば、ハーレムものがいかにして成立したのかも考えてみると面白そうです。こうなると、そもそも正妻戦争ものの歴史も気になるところですし、さらに言えば「源氏物語は日本最古のハーレムもの」という俗っぽい認識にもあらためて興味がわいてきます。しかしここではこれ以上踏み込むのはやめておきましょう。

 

 

 

■おわりに

トニカクカワイイ』のような「愛の証明もの」のラブコメ作品が、現在少しづつ増えてきているように思えます。その背景には、目的も意味もない日常を楽しむことが広く受け入れられたことがあると考えられます。つまりラブコメの中に、愛の獲得や愛の証明とは別に、愛の日常という要素がはっきりと導入されたのです。

 

長々とまとまりもなく書いてきました。まだいろいろと話を広げたりもっと掘り下げたりしたいところもありますが、今回は大雑把な見取り図を示すことにとどめましょう。今回触れたいくつもの作品を今後取り上げるときなどを通じて続きを書いていきたいと思います。